ホンダ ライフ LA-JB1 ②
ヘッドライト白内障(笑)手術の画像があった。
右灯を先に交換。
左ライトがくすんでいて、右ライトがクリアーなのが分かるだろうか。
左右とも交換後の画像。
近くで撮影すると、分かりやすい。
これは交換して正解だった。気化してコーティングするやつに挑戦しようかと思ったが、手間と費用がかかるので断念。140000キロ走行車なので、いつぽしゃるとも限らない。ヤフオクでコーティング済みのものを安く手に入れて交換した。バンパー脱着はできるかなと心配していたが、先輩方のYoutubeやブログを参考にすると、あらま簡単。前オーナーに仕上がりを見せると、とても喜んでいた。
ホンダ ライフ LA-JB1 ①
4月から友人より譲り受けたホンダライフに乗っている。現状渡しであったが、タイヤはほぼ新品、エンジン絶好調と、譲ってもらうのが気の毒なくらい車の調子が良い。できるだけ大切に乗ってほしいというのが、譲渡の際の条件であったので、経年劣化の部分を中心に手を入れている。
純正キーはメッキが剥げて真鍮素地が見え、かなりへたってきていたので、4月20日にディーラーで注文をした。
今日5月11日に取りに行った。
おおお、輝きが違う。当たり前か。画像で比較しても、今までのキーは肩の部分がかなりすり減っていることが分かる。品番は35113-SM4-305。ちゃんと刻印もされているので純正である証ですな。140000キロも乗ってキーだけ新しいのもどうかと思うが。
4月から少しずつ手を入れているが
・ リモコンキー(トランスミッターASSY.)の交換
・ ヘッドライトの白内障(笑)修理
・ ポジション、室内灯のLED化
・ ハザード、デフォッガスイッチのLED化
・ リラックマのシートカバー
は無事に終了。ああ画像を残しておけばよかった。
今後の予定は
・ スピーカーの交換
・ ウインカー球、ヘッドライトバルブ、テールランプ球のLED化
である。
次はスピーカー交換である。本当はデッドニングなどもやりたいのだが、本体がいつぽしゃるか分からないので(ステアリングが最近あやしいのである)、あまりお金もかけられない。
2013年8月豪雨
2013年8月、所用で福山を訪れた。しまなみ経由で尾道からは国道2号を走った。
備後赤坂駅に近づくと普段とは何やら様子が違う。
側線に貨物が停車している。備後赤坂の下り側線に列車がいるのを見たことなどほとんどなかったのだが、なぜだ。
さらに近づくと中線(上り側線)にも停まっており、しかも下り向きではないか!
こうなると、完全に抑止であることが分かる。しかしなぜ抑止なのだ。どこぞで事故でもあったか?とネットで情報を探すが何もない。
この中線は普段は快速サンライナーの折り返し用に使われており、下り向きでの貨物停車は見たことがなかった。
車を停めしばらく眺めていると踏切が鳴った。
國鐵廣嶋を代表する115系L編成である。と、その時ハタと気が付いた。そうか、8月24日の大雨による抑止なのだ。山陽線が各地で寸断され、JR貨物の東福山・新南陽間の運休を余儀なくされてしまっていたのである。そのため、8月25日のこの日、西に向かう列車が、東福山を出たはいいが、進むに進めなくなり、ここで抑止を受けていたのである。
この抑止の状況を見ていると、山陽線が今も貨物の大動脈であることが分かる。このコンテナの中には、広島だけでなく山口や九州方面に向かうものもあるだろう。私たちの生活がこうした物流で成り立っていることを考えると、JR関係者にはただただ頭が下がる。(28日からは歴史に残る「山陰迂回」が始まるのである。物流は待ってはくれない。)
備後赤坂で2本も抑止を受けているのだから、東福山でも抑止を受けている貨物がいるはずだと思い、所用を済ませてから東福山に行ってみた。
やはりいた。抑止を受けた貨物の脇を、岡山区の115系湘南色が駆け抜けてゆく。
自分も運輸業に就いていた時期があるので、こうした非常時の運転士の気持ちはよく分かる。拘束時間がどうしても長くなるが、天気相手だと仕方がない。物流を支えてくださる方々に感謝。
※ 列車の撮影にあたって、敷地外からの撮影を行っておりまた、樹木の伐採や私有地への不法侵入等は行っておりません。私有地に立ち入る場合はきちんと許可を得ております。
与那国、そして台湾2012 その11
その晩は饒河街観光夜市で臺灣グルメを味わいぐっすり寝た。
翌日、相方に行ってみないかと誘われたのが國立國父紀念館。今はMRTの松山新店線が開通しているが、当時はまだ工事中だったので、文湖線と板南線を乗り継いで行った。
臺北101がすぐそこに見えている。
予想に反してかなり大きな建物である。国の父、つまり孫文の記念館なのだ。
像が大きい!
儀仗兵は微動だにしない。相当な訓練を積んでいることだろう。これだけ観光客が間近にいるのにも関わらず、だ。そのうち、この像の周囲にどんどん人が集まってきている。
どうも儀仗兵の交代のようである。自然光しかないので、儀仗兵の交代の写真はぶれてしまった(恥)。交代後の様子。あれだけ周囲にいた人はあっという間にどこかへ行ってしまった。
与那国、そして台湾2012 その10
臺北・松山駅で下車をして、慈祐宮に寄ってみた。
屋根の工事中か何かでフェンスに囲われていたが、参拝客はひっきりなしに訪れている。
さすがに宗教施設なので(日本でいうお寺?)、中をパシャパシャ撮影するわけにもいかず、中から見た様子をこうして撮影している。どうやら修復工事のようでしたね。
与那国、そして台湾2012 その9
九份を歩き回って、バスで最寄り駅の瑞芳駅へ。
切符売り場に行くと、日本の歌を歌いながらニコニコと近づいてくるおっさんがいる。日本人に気軽に話しかけるのだろう。臺灣の日本びいきは今の時代も続いている。様々な文化が自国発祥である、と臆面もなく全世界に発信するどこかの国とは違う。
ホームに上がる。臺灣のよいところは、漢字が使われているため、読めなくても意味が大体通じる。ただ、プラットフォームを「月台」と書くのは知らなかった。
列車案内は電光掲示である。
構内に目をやると、日本でおなじみの加藤(製作所)のスイッチャー(構内入換機)がいるではないか。こんなところで見られるとは思ってもいなかった。これってたぶん日本から持ってきたんだろうねえ。臺灣の鉄道インフラは日本の技術協力が太いですから。昔は日本各地の引き込み線で大活躍をしていたが、荷扱い量が減ったのと引き込み線自体がどんどん廃止され、スイッチャーも廃車されるものが多くなってしまった。先日もスイッチャーが売りに出ていましたねえ。
瑞芳駅はリニューアル中で、電光掲示板も上のような新しいものに替えられているものもあった。
臺鐵の電気機関車E416けん引の莒光号が入線してきた。電機けん引の客車急行とは懐かしい。日本で急行能登に乗って以来か。この列車で臺北に戻る。